
2025/9/23
【產經新聞】イスラエル建国と日本精神
【產經新聞】以色列建國與日本精神
https://www.sankei.com/article/20250923-IJDQAHRJANOXPIMJJLTJT22FPA/「イスラエル建国の父」のヨセフ・トランペルドールをご存じだろうか。
帝政ロシア出身のユダヤ人で、日露戦争の旅順攻囲戦では左腕を失いながらも右手の刀とピストルで日本軍と戦い、隻腕の英雄として勇名をはせた。だが敗戦で捕虜となり、大阪の収容所で過ごすことになった。
トランペルドールにとって収容所暮らしは大きな転機だったのだろう。予想外に「自由」が認められ、収容所に学校や図書館などを作ることに奔走した。明治天皇に拝謁し、義手を賜る栄誉も受けた。ロシアではユダヤ人だからと差別を受けていた。日本で受けた厚遇は、さぞ彼我の差を感じさせたに違いない。
日本という小さな国が大国ロシアに勝てたのはなぜか。トランペルドールが考えたのは日本人の精神世界だったという。勤勉で規律を重んじる国民性、さらには愛国心や尚武の心、公に尽くす精神などである。
トランペルドールはその後、パレスチナに渡ってユダヤ人民兵組織の結成に力を尽くした。それがイスラエル建国の原動力になったとされる。
志半ばにトランペルドールはレバノン国境近くでアラブ武装集団の銃弾に倒れた。最期に言い残した「国のために死ぬほどの名誉はない」との言葉は、かつて日本兵から学んだものだったと伝わる。遺品には「新生ユダヤ国家は日本的な国家とすべきだ」との趣旨の書き込みもあったという。
古来の武士道精神や明治人の気骨、魂がユダヤに伝わり、イスラエル建国につながったことは両国で語り継ぐべき大切な歴史だ。
ユダヤ研究の碩学(せきがく)、明治学院大学の丸山直起名誉教授によると、トランペルドールと日本精神について日本に最初に伝えたのは、イスラエルにおける日本研究の開祖とされる重鎮、ヘブライ大学のメロン・メッツィーニ名誉教授である。
6月17日付当欄で紹介したメッツィーニ教授に聞くと、1972年に京都の学会で、トランペルドールが捕虜として日本に滞在したことを論文で発表したそうだ。会場では、ヘブライ語が堪能でユダヤの歴史に詳しい三笠宮寬仁親王ともお会いしたと述懐していた。
そのメッツィーニ教授らを招いた国際シンポジウムを11月に開催する方向で、東京財団が準備を進めている。テーマは「日本とユダヤ人」だ。江戸末期に始まった日本人とユダヤ人の交流史を振り返り、1948年のイスラエル建国から現在へとつながる両国の関係を考察する。
核心となるのは、欧州でホロコーストの嵐が吹き荒れた時代の日本とユダヤの関係だ。日本は、ユダヤ人を迫害した同盟国ナチス・ドイツの要請に反し、ユダヤ人を公平かつ人道的に扱った。その結果、4万人のユダヤ人が生き延びた。
メッツィーニ教授はリトアニアでユダヤ人に「命のビザ」を発給した杉原千畝カウナス副領事や、満州のユダヤ人社会を支えた樋口季一郎中将らを例に、日本人が人道的だったことをイスラエルに向けて発信している。その点で多くのユダヤ人が日本を評価していることを知っておきたい。
戦後80年である。いつまでも自虐史観にとらわれて反省や謝罪を繰り返すのではなく、世界から称賛され胸を張れる史実があったことを、日本の誇りとして子供たちに伝えたい。
你知道「以色列建國之父」約瑟夫·特倫佩爾多爾(Joseph Trumpeldor)嗎?
他是出身於沙俄的猶太人,在日俄戰爭旅順攻圍戰中,即使失去了左臂,仍以右手持刀與手槍同日本軍作戰,因而以獨臂英雄之姿聲名遠揚。然而,由於戰敗而被俘,最終被送往大阪的收容所度過一段時光。
對特倫佩爾多爾而言,收容所生活可能是個重大轉折。出乎意料地,他獲得了某種「自由」,並致力於在收容所內建立學校和圖書館。他甚至獲得了拜謁明治天皇的機會,並蒙賜義肢的榮譽。在俄羅斯,他曾因身為猶太人而遭受歧視,而在日本所受到的厚遇,必然讓他深刻感受到雙方的差異。
為什麼日本這樣一個小國能打敗龐大的俄羅斯?特倫佩爾多爾思考後認為,關鍵在於日本人的精神世界──勤勉、重視紀律的國民性,以及愛國心、尚武精神、奉獻於公共的心志。
之後,特倫佩爾多爾前往巴勒斯坦,致力於組建猶太人民兵組織。據說,這成為以色列建國的原動力。
然而,他在志業未竟之時,倒在黎巴嫩邊境附近阿拉伯武裝團體的槍彈之下。他臨終留下的話──「為國而死是無上的榮耀」──據傳便是從日本士兵身上學來的。他的遺物中,還有「新生的猶太國家應該成為日本式的國家」的字句。
自古以來的武士道精神,以及明治時代日本人的骨氣與靈魂,傳遞到了猶太人那裡,並最終與以色列建國相連。這是兩國都應銘記傳承的重要歷史。
根據猶太研究權威、明治學院大學丸山直起名譽教授的說法,最早將特倫佩爾多爾與日本精神的關聯介紹給日本的,是被視為以色列日本研究開創者的重鎮──希伯來大學的梅隆·梅茨尼(Meron Medzini)名譽教授。
筆者在6月17日的專欄中介紹過的梅茨尼教授回憶道,1972年他在京都的學會上,以論文發表了特倫佩爾多爾作為俘虜滯留日本的研究成果。會場上,他還曾與精通希伯來語、熟悉猶太歷史的三笠宮寬仁親王會面。
目前,東京財團正籌劃於11月舉辦一場邀請梅茨尼教授等人的國際研討會。主題是「日本與猶太人」。將回顧自江戶末期開始的日猶交流史,並探討自1948年以色列建國以來,兩國關係如何延續至今。
其中的核心,將是歐洲遭逢大屠殺風暴時,日本與猶太人之間的關係。當時,日本並未順應同盟國納粹德國的要求去迫害猶太人,而是以公平、人道的方式對待他們。其結果是,有四萬名猶太人因此得以存活。
梅茨尼教授在以色列介紹了多位日本人的人道行為,例如在立陶宛為猶太人簽發「生命簽證」的外交官杉原千畝,以及支援滿洲猶太人社群的樋口季一郎中將。正因如此,許多猶太人對日本抱持高度評價。
如今戰後已八十年。我們不應永遠陷於自虐史觀中,不斷反省與道歉,而應該把那些受到世界稱讚、能讓我們昂首挺胸的史實,作為日本的驕傲,傳遞給下一代的孩子們。
